TARO MEMO

地方理系建築大学院の「修士論文×一級建築士×筋トレ」の記録 (ときどき読書/建築/雑感/旅行/研究/アイドル/ライフハック/趣味/就活/筋トレ/ラーメンなど)

【不合格体験記公開】大学受験会場で、浪人まっしぐらな自身の状況をつづった生々しい記録を公開します。

 

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「浪人をしていれば…。」は一生つきまとう

大学受験は人生の大きな分かれ目。これは、まぎれもない事実です。

私は、第一志望のO大学に落ち、何となく受験していたX大学に「望んでいなかった進学」をしました。(浪人はしていません。)

 しかし、今現在大学院2年になり、振り返ってみると、あくまでもただの分岐点に過ぎなかったと思います。

後悔はしていませんし、そのとき進学を選んだことに間違えはなかったと思います。(むしろ、進学を選んだことによって、「選択」や「決断」は一瞬の出来事であり、大きな意味はないことを、身をもって学ぶことができました。)

でも、もちろん第一志望校にはいきたかったし、なんども「浪人をしていれば…。」なんて思うこともありました。

「最善を尽くせなかったかもしれない」は残る

大学受験を控えている人がもしこの文章を偶然見つけてくれたなら、晴れやかな気持ちで進学してほしいものです。
その晴れやかな気持ちとは、もし不本意な結果であったとしても納得して覚悟を決めること、そして、まずは不本意な結果にならないようにやり切ることです。
正直私は、高校生時代、不本意な結果にならないように最善を尽くしたか怪しいのです。

振り返ってみると、一瞬一瞬全力でしたが、受験に対して戦略的とは言えず、その点で最善を尽くせていなかったと思います。
そのことを受験会場で反省している文章を以下に示します。これが誰かの役に立てばと思います。

私はこんな高校生でした。

まず、前提を説明します。

  • 公立進学校に通っていた。
  • 毎週末に「週末課題」が結構な量課せられていた。
  • 高校3年で文理選択があり、まわりは優秀な人間であふれていた。
  • 国立のO大学が第一志望だったが、センター比重が低いことを理由にE判定のまま突撃。あえなく撃沈。
  • O大学の不合格発表の数日後、駿台に入学予約した。
  • 国立のX大学に後期日程で受験。(合格した。(進学するかどうかも一事件あったので、いつかご紹介できればと思います。))
  • 後期日程の試験(面接)の待ち時間に、「不合格体験記」を書いた。

以下本文です。受験会場での雰囲気をお伝えするべく、なるべく原文ママです。

不合格体験記 (本文)

「今、現役での大学合格をかけた面接の待ち時間である。振り返ると、部活、あそび、勉強といそがしい3年間で、あっというまだったが、とても充実したものだった。このX大で合格をもらえればめでたくX大生、不合格を与えられればめでたく駿台生というところである。なぜここまで追いこまれなくてはならなくなったのか分析していきたい。

まず、1~2年の秋まで、週末課題をやって提出するだけする、そんな勉強だった。返却されてももちろん見直さないし、テスト前に振り返りもしない。ただ、時間をかけてといて提出する…。週末課題の効果をゼロにしたのはまぎれもなく自分である。

また、テスト勉強もほとんどしなかった。数学だけはそこそこしたが、特に苦手だった理科はほったらかしで、なんと当日の朝に電車で範囲の問題集の答えを読むだけのときもあった。テスト習慣はほとんど数学についやす。けれども順位は30番くらい。モチベーションはどんどん下がっていった。2年冬、志望校も決まり、みなも受験に向けてザワつき始めたころ、数学だけでいえば学年1ケタになった。このときは、とてもうれしかった。うかれて、ますます数学しかしなくなった。理科はほんとうに悲惨なまま、「なんとかなる」と思い、3年になった。クラスは優秀な人ばかりで、少し自信をもっていた数学も数Ⅲのケタ違いの難しさにやる気を失った。そんななかでもデキる人はどんどんデキるようになっていく。自分がつまづいているところがなんと初歩的なところか思い知るたびに浪人が近づいてくるように感じた。非常に劣等間にさいなまれた。まわりがどんどん力をつけていく中で伸びている実感がまったくない、このことはとても苦しかった。その」

ここで受験番号が呼ばれ、面接会場の前室に移動しました。

この文章を書いている途中に、シャープペンの消しゴムのフタが外れて、机のとりにくい隙間に入ってしまいました。

思えばこれが縁だったのかもしれません。

二年後、そのシャープペンのフタを回収することになるとは思いませんでした。

6年前の自分の文章を打ち込んでみて、受験生諸君と自分へ

打ち込んでみると、「こんなに甘ったれなことを言っていたのか」と、沸々と当時の自分に怒りがこみ上げてきそうでした。
でも、やりきれなさ、後悔、歯がゆさ、悔しさ、みじめさ……いろいろな暗い感情に支配されていた当時なら、仕方ないです。

むしろ、自分のなかにはいつでも暗い感情を引き出す種となる経験が眠っていて、それと上手に付き合い、力にかえていくしかない。
いや、この暗い気持ちにならざるを得ない経験や、もう一つの選択をとった場合の自分に恥じない、勝てる、誇れるようにという強い動機こそが、私にとっての大きな財産だと再確認しました。

話が大きくそれて、自分語りが過ぎてしまいましたが……。

とにかく受験生諸君には、悔いのない受験生ライフを送ってほしいものです。(こんなエラそうなこと言っていたら、バチがあたりそうでこわい笑)
大学に入って、研究室で取り組む多くのことは、あらかじめ正答が用意されていません。だからこその面白さがありますし、その分の苦しさもあります。
ときどき、正答が用意されていた受験勉強にいとしさを覚え、思いを馳せることがあります。

不快感を与えるかもしれませんが、誤解を恐れずに言えば、
確実に答えがある問題にさえ取り組んでいればいい、今の時間を楽しんでください。
(もちろん勉強だけが生活ではないので、他の答えのないこともおろそかにせず。)
「こんな問題が解けるようになった!」という快感を大切にしながら、受験ライフを楽しんでほしいです。

私も、外に答えがなくて苦しむなら、うちに確かな答えをつくり、克服します。どんなに答えのない取り組みに対しても、自身のなかに何か答えを与えられるようになります。社会人になるまでの1年弱で身につけたいです。たどり着く、克服する、クリアする快感、成長を日々認識できるよう、工夫しながら生活したいです。

おしまい